MACHHAPUCHHARE & PHEWA TAL@POKHARA
(この写真のカラー版が6月29日に「地球の歩き方HP」トラベルフォト・コーナーに掲載されました)


− POKHARA − 


貸し自転車をとめて山を眺めているとチベット民芸品をショルダー・バッグに詰め込んだ一人の老人が近づいてきた。
「ブツブツコウカン?」
売りつけるのではなく日本製のボールペンなどと「物々交換」しようというのだ。「歩き方」にも書いてあるしネパールではよくある話らしい。こちらのカバンの中のものをいろいろ見せてみたがろくなものはなかった。ガイドブック、水、カメラ、ボールペンなど。彼はカメラには目もくれなかった。ボールペン(というか書く道具)は1本しか持っていないので交換するわけにはいかない。老人の持っているものも仏具、首飾り、ヤクの骨の柄のナイフなど特に興味をそそられるものもなかった。彼もなにがなんでも手に入れようという気もないようで、すぐあきらめて世間話がはじまった。
山をみながら、
「あれがマチャプチャレ、その左側がアンナプルナ・サウス....」

「ネパールの人は英語はなせる人が多いけどどうやって勉強するのですか?」
「こんなふうにツーリストと話して覚えていった」
「物々交換して?」
「いや(笑)、昔はトレッキングのガイドもやった」

”Nepali”という言葉を使っていると、
「私はネパール人ではない。チベットからやって来た」
ひょっとしたら、と思って聞いてみた。
「いつ?」
「1959年」
「ダライ・ラマと?」
老人は黙ってうなずいた。
1959年というのはチベット動乱の年。彼は亡命してきたのだ。
チベットという地名はいまでは中国領内だが、それは人間が勝手に引いた国境という線を基準に考えるからだ。チベット人にとってはどこまでが中国で、どこからがネパールかは関係なかった。中国にもネパールにも、そしてインドにもチベット人は住んでいる。陸続きの国はどこでもそうだ。「国家=民族」とはならない。

最後に老人は静かに言った。
「中国とチベットは別の国だ」
中華人民共和国チベット自治区ではなくチベットという国がこの世界にたしかに存在するということを知った。






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