横浜港

乱れ飛ぶ紙テープ@横浜港

♪横浜かぁら船にのってぇ....



ソビエトが崩壊したと言ってもロシア連邦は依然として社会主義の国であり、お決まりのビザは必要だった。おまけに、そのビザをとるためには宿泊場所・交通機関が決定していてバウチャーを提示しなければならぬ。もひとつおまけに、その交通機関と宿泊場所は、ある程度希望は出せるものの最終的な決定はロシアの国営旅行社インツーリスト様のさじ加減ひとつ、というまさに「あなたの国へお邪魔してもよろしいでしょうか?」状態なのである。さらにもひとつおまけに、インツーリストの日本国内代理店としていくつかの旅行代理店が指定されており、どこの旅行代理店でも買えると言うわけではない。

という具合にのっけからオマケだらけであり複雑極まりなく、ロシアは依然として幾重ものベールの彼方であった。ただひとつ例外は、横浜〜ウラジオストック間の船の切符は船会社に電話一本で買えたのである。前にも書いたようにこの年(1992年)からナホトカ行きだった航路が数十年ぶりにウラジオストック行きとなり、私の乗った便はまさにそのウラジオストック直行戦後第1号の便だった。こりぁゼッタイみんな殺到して切符なんか買えないに違いない、と思って電話してみたらあっさり希望の席が買えて拍子抜けであった。1等から6等までありビンボー性ながら若干の見栄を張る私はセコク下から2番目の5等を買った。5等と6等の違いは5000円であり、その違いは窓があるかないか、つまり船の中央部にあるのが6等で両側の海側にあるのが5等。ウラジオ行きなんかしょせんこんな程度である。
でも仕事でナホトカに行くというある6等船室乗客は私に言った。「船がローリングするとき、端より真中のほうが揺れないんですよ」 なるほど。たしかにそうだ。おまけに窓があろうが無かろうが船室で過ごすのはどうせ寝るときだけであり、外は真っ暗。これでは5000円の差はないかもしれぬ。

しかしその考えはあさはかであった。ロシアでは5000円分のルーブル紙幣は札束であり、いかに大金であるかを後日身を持って知ることになる。

さて、横浜の出航は大桟橋から。出国審査は成田なんぞと違いすいているのでさっさと済んでしまう。ナント!紙テープは乱れ飛ぶは、ブラスバンドの演奏はあるは、どんどんテンションは上がっていくのであった! 
やっぱ、ええのぉぉぉ船旅は。







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